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唯物弁証法その2

事物の「不変性」見落とす
[キーポイント]

共産主義の唯物弁証法(弁証法的唯物論)は四つの柱からなっています。それは、【1】相互関連性と変化【2】量的変化の質的変化への転化の法則【3】矛盾の法則(対立物の統一と闘争の法則)【4】否定の否定の法則です。今回は相互関連性と変化を見てみましょう。唯物弁証法は相互関連性の理由を明らかにせず、事物を変化という一面だけでとらえる誤りをおかしていることがわかります。

その主張

事物を相互関連性と変化でとらえる考え方がマルクス主義であり、これに対して事物を固定的に捉えるのが形而上学である、とマルク主義者は思想を二分します。エンゲルスはこういいます。
 「それはこの考え方[形而上学]が個々の事物にとらわれてそれらの連関を忘れ、それらの存在にとらわれてそれらの生成と消滅とを忘れ、それらを静止にとらわれてそれらの運動を忘れるからであり、木ばかりを見て森を見ないからである」(『反デューリング論』)
 このようにエンゲルスはいうのですが、もともと形而上学は存在するものの最高原理を思弁的にとらえようとする哲学の特殊な分野を意味しています。すでに見ましたヘーゲル弁証法で明らかなように観念論にも相互関連性と変化の視点があります。しかしマルクス主義者は自分たちの考え方以外はすべて形而上学と見なし、形而上学は事物を不変な固定されたものとしてとらえていると枠組みをはめます。つまり事物を相互関連性と変化でとらえるのは唯物弁証法のみであると主張するわけです。
 そこにこだわるのは理由があります。その理由をスターリンは「世界は不断の運動と発展のうちにあるならば…資本主義制度を社会主義制度にとりかえることができる」と率直に述べています(資料参照)。つまり、マルクス主義者は唯物弁証法によってプロレタリアートを革命に駆り立てようと考えているのです。ここでも革命を正当化するための理論という共産主義の党派性が浮き彫りになっているといえます。

さて、相互関連性といえば、現在の私たちにとっては当たり前のことのように思われます。宇宙の星団と星団の関係や地球上の食物連鎖、生態系といった概念はまさに宇宙のすべての事物がどれ一つとして孤立して存在しているものはない、まさに相互関連性を証明する何ものでもないでしょう。
 ですから唯物弁証法が事物を相互関連性でとらえることは正しいことです。しかし、問題なのはなぜ相互関連性があるのか、その理由を問わず、また相互関連性があるなら全体と個体をどうとらえ、個体のあり方をどう考えるのか、このことについてまったく論及しないことです。
 変化についてはどうでしょうか。たしかに世界は不断に運動・発展しています。しかし、だからといって事物に不変の面はないのでしょうか。変化だけがすべてなのでしょうか。唯物弁証法は変化のみを強調しますが、そうした態度こそ「木を見て森を見ない」ことにならないのでしょうか。
 ここで私たちはルイセンコ学説を思い出します。ルイセンコ(一八九八~一九七六)は旧ソ連の生物学者です。事物の変化のみを強調する唯物弁証法を生物学にも適用して、スターリンの絶大な信頼を得てソ連農業を指導した人物として知られます。
 彼はメンデル・モーガンの遺伝学説に公然と異議を唱えました。遺伝学説は形質が遺伝子によって子孫に伝えられるといい、遺伝子の不変性や種の不変性を主張しています。これは事物の絶えざる変化や発展を主張する唯物弁証法とは相容れません。
 そこでルイセンコは秋まき小麦を春化処理によって春まき小麦に変える実験を通じて、環境によって生物の遺伝性が規定されることを明らかにしたと主張し、遺伝学説を真っ向から否定しました。
 そればかりかメンデル・モルガン遺伝学をブルジョア的・形而上学的学問として攻撃し、ソ連国内の生物学者が多大な被害を受けました。
 では、ルイセンコの実験とはどんなものでしょうか。小麦には秋にまく二年生と春にまく一年生があり、秋まき小麦のほうが収穫量が多いのです。しかし、秋まきは冬の冷害にやられやすいという問題があります。もし、秋まきのを春にまければ万事うまくいくのでは、というので秋まき小麦の種子を一定の期間冷蔵して(つまり、環境によって形質をかえ)春にまけば、その麦は実をむすび大収穫を得られるはずーーと、ルイセンコは考えたのです。
 これをスターリンが後押しして、1930年代から実に30年間にわたって全ソ連で農業分野でルイセンコ学説が大手を振ってまかりとおったのです。その結果は―。
 「(ルイセンコ学説をソ連農業の基本政策にした)30年の間違った実践、間違った調査の方向、間違った選抜の方法のもとでは、ひでりに強い作物も寒さに強い作物も選抜できませんでした。このことが現在のソビエトの深刻な農業不振につながっているのです」(メドベージェフ『日本の条件・7』NHK取材班) この話は70年代までのソ連の話です。その後、ルイセンコ学説の間違いが外国の学者たちが証明し、ソ連国内からもルイセンコ主義批判が起こって、ついにルイセンコ学説が否定されるにいたりました。しかし、30年にわたる過ちは今なおロシアやウクライナをはじめとする旧ソ連圏の農業に打撃を与えているといわれます。

変化のみを強調する唯物弁証法の間違いをルイセンコ事件は証明しています。 統一思想は、すべて事物においては不変と変化、自己同一性と発展性は不可分に統一されていると見ます。すべて事物は自己同一性を保ちながら変化、発展しているのです。実際、植物も動物も人間も、みな不断に変化、発展(成長)しながらも、各々不変なる特性を維持しています。リンゴの木は生長(変化)しながらもリンゴの木であるということにおいて不変であり、馬も成長しながら馬という動物であることにおいては不変なのです。ところが、形而上学は自己同一性(不変)のみを扱い、唯物弁証法は発展性(変化)のみを扱ったのであって、いずれも一面的であったといえます。
 ところで、ヒトゲノムの遺伝子暗号の全解読が20世紀末にほぼ完了しましたが、筑波大学名誉教授の村上和雄氏は「この膨大な情報が、極微の空間にどのようにして書き込まれたであろうか、という不思議な感慨にとらわれている」と述べています(『サムシング・グレート』の不思議=産経「正論」02年4月7日)
 人の細胞は約60兆個。その一つ一つが命をもち、この集合体が毎日、喧嘩もせずに見事に生きている、この大自然の偉大な力「サムシング・グレート」によって私たちは生かされている、と村上氏はいいます。ここにこそ相互関連性と変化の本質があるのではないでしょうか。
 宇宙の相互関連性は目的を中心とした相互関連性です。その目的を立てた意志(宇宙意志、村上氏がいう「サムシング・グレート」)があったこと、つまり神の存在を認めない限り、相互関連性も変化も説明できないでしょう。ここに唯物弁証法の限界と欺瞞があります。

革命のための「相互関連性と変化」の概念

 「世界は不断の運動と発展のうちにあるならば、もし、古い現象の死滅と新しい現象の成長が発展の法則であるならば、もはや『不動』の社会秩序、私的所有や搾取という『永遠の原理』、農民の地主への、労働者の資本家への隷属という『永遠の理念』がもはやないことは、明白である。つまり、かつて資本主義制度が封建制度にとってかわったように、資本主義制度を、社会主義制度でとりかえることができるのである」(スターリン『弁証法的唯物論と史的唯物論他』)

批判のまとめ

【1】事物を相互関連性でとらえるのは正しいが、その理由や全体と個体の関わり方を解明していない
 マルクス主義者は、事物が相互関連性で存在すると述べただけで、そうなっている理由にはまったく触れません。関連性をいうなら、どう関わっているのか、つまり全体と個の関わり方やあり方(連体性と個別性)を明らかにする必要がありますが、これにもまったく触れておらず論理が欠落しています。

【2】事物を変化・発展のみでとらえ不変性の側面を見落としており、一面性でしか事物をとらえない誤りをおかしている
 事物は遺伝学説で明らかなように不変性を有し、不変と変化、自己同一性と発展性は不可分に統一されています。リンゴの木は日々、成長(変化)していますが、リンゴの木であり続けています(不変)。にもかかわらず事物の一面でしかない変化のみ強調し、絶対視するのは誤謬の何ものでもありません。

代 案

 宇宙の相互関連性は目的を中心としています。宇宙に目的を認めれば、宇宙が存在する以前にその目的を立てた意思(宇宙意志)があったこと、さらにその意志の主体としての神の存在を認めざるを得ません。唯物弁証法は相互関連性に目的を認めず、法則だけを相互関連性で説明しているのです。統一思想から見れば法則は目的(創造目的)を前提としたものであり目的性のない法則はあり得ません。
 すべて事物は神の二性性相(性相と形状)に似た属性をもった個体(個性真理対)であると同時に他の個体と関係を結ぶ連体であると統一思想は見ます。各個体は個体特有の性質(個別性)を常に維持しながら連体として互いに影響しあっています。すべての事物は個別性と連体性を統一的に担っており、不変と変化、自己同一性と発展性を不可分に統一している存在なのです。。

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