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唯物弁証法その3

自然界の相対物を「対立物」と強弁する
[キーポイント]

唯唯物弁証法は事物を変化、つまり運動という側面だけを独善的にとらえ革命を正当化しようとしました。その論理展開の中に「対立物の統一と闘争の法則」(矛盾の法則)があります。この「法則」は存在物を対立物ととらえ、その対立物の闘争によって事物が発展するとします。つまり闘争を絶対化して革命を正当化しようとする共産主義の思想的根幹となっているのがこの「法則」です。しかし、いったい自然界のどこに対立物が存在し、闘争によって発展する現象があるというのでしょうか。詳しく探っていくと、共産主義は間違った前提のうえで間違った理論展開をしていることが明白になります。今回と次回は対立物という概念について見てみます。

その主張

共産主義のいう対立物とはいったい、いかなるものを指しているのでしょうか。エンゲルスやレーニンによると、次のようなものが対立物だといいます。
▽磁石の南極と北極
▽蠕虫(ぜんちゅう)の口と肛門
▽物体の運動(静止と運動)
▽生物の生と死
▽数学のプラスとマイナス、微分と積分
▽力学の作用と反作用
▽物理学の陽電気と陰電気
▽化学の諸原子の化合と分解
▽社会科学の階級闘争

   これらのどこが対立物なのか、エンゲルスの解説を聞いてみましょう。
 まず磁石と蠕虫。
「両極性。磁石を切断すると、中性だった昼間部にも極を生じ、しかももとの極はそのままである。これに反して、蠕虫を切断すると、正極のところではものを摂取する口をそのままもちつづけ、他端のところでは負極を形成して排出用の肛門をもつようになる。ところがもとの負極(肛門)は正となり、口となって、新しい肛門あるいは負極が傷口のところに形成される。正から負への転化である」(『自然の弁証法』)
 ここでの説明によると、磁石を二つの部分に分けても各々の部分に必ず対立物(矛盾)である北極と南極が現れ、蠕虫を二つの部分に分けても、やはり各々の部分に対立物(矛盾)である口と肛門が現れるというのです。
 次に物体の運動。
「運動そのものが一つの矛盾である。すでに単純な力学的な場所の移動ですら、一つの物体が同一の瞬間にある場所にありながら同時に他の場所にあること、すなわち同一の場所にあるとともにそこにないということがなければ、行われえない。しかも、かような矛盾を不断に定立しながら同時に解決していくことが、まさに運動なのである」(同)
 これはゼノンの「飛矢静止論」について述べたものです。ゼノン(古代ギリシャ・エレア派の哲学者)によると、もし矢がある瞬間にある点にあるとすれば、矢はその点に静止しているのであり、もしある瞬間にどの点にもないとすれば、矢はどの点をも通過せず、したがって運動したのではないと説明し結局、矢は静止していると論じました。
 これに対してエンゲルスは「運動している物体はある瞬間にある場所にありながら同時にない」と説明してゼノンのパラドックスを解決したというのです。つまり、物体は静止しながら運動する、まさに運動は矛盾(対立物)であるというわけです。
 生命の生と死は―。
「(生命も)事物と過程そのもののなかに存在するところの、たえず自己を定立しかつ解決しつつある矛盾であるわけだ。そしてこの矛盾がやめば、ただちに生命もやみ、死がはじまるのである」(『反デューリング論』)
 ちょっと難解ですが、ようするに生物は生と死の対立によって生きており、この対立がなくなれば死んでしまうというのです。
 前述した対立の例のうち、数学のプラスとマイナスから社会科学の階級闘争までは、レーニンがあげたものです。レーニンは「統一的なものを二つに分け、その矛盾した二つの部分を認識することは、弁証法の本質である」(『哲学ノート』)として、こうした例を取りあげています。

以上の「対立」は、はたして本当に対立なのでしょうか。実際は対立との概念が当てはまりません。このことをまず磁石で見てみましょう。
 小学校の理科の実験でご存知のように、一つの磁石の周りに鉄の粉をふりまけば、鉄粉はN極とS極を結ぶような曲線を描いて並びます。これはN極とS極が互いに引き合っているから起こる現象であって、対立しているから起こるのではありません。N極とS極は引き合う(いわば互いに相手を必要とする)関係であって反発、対立してはいません。これを対立とするのは歪曲もはなはだしいといわざるを得ません。
 これに対してN極とN極、あるいはS極とS極を向かい合わせて、そこに鉄粉をまけば、鉄粉は互いに相手の極から離れていくような曲線を描きます。二つの極が排斥し合っているからこうなるのです。N極とN極あるいはS極とS極こそ対立物です。
 磁石を半分に分割して、二つの極、つまりN極とS極に分けようとしても、分割された磁石はまたN極とS極をもった磁石になります。これは、この最小の磁石が必ずN極とS極を対でもっていて「磁気双極子」を構成しているからです。N極とS極は対立する要素でなく、一つの磁場を形成する相対的な要素であり、したがってN極とS極からなる磁石は対立物ではなく相対物といえます。
 では蠕虫の口と肛門はどうでしょうか。
 蠕虫の仲間で私たちになじみがある? のはサナダムシでしょうか。サナダムシは一部でも体中に残るとまた大きなサナダムシになるので虫下しで完全に出さねばなりません。エンゲルスがいうのはこの「再生」についてで、一般に原始的な生物ほど再生能力が高いといわれ、代表的な例としてはミミズやヒドラ、イモリなどがあげられます。とりわけプラナリアという扇形動物の仲間は体を百分の一に切り刻んでも本来の形に再生するといわれ、生物学でよく扱われます。
 前述のエンゲルスの説明によれば、真っ二つに切られて二匹として「再生」した蠕虫は切り口が肛門になるので、もとの肛門が口になるという「正から負の転化」が起こるというのです。だが、虫の再生がすべてそうかというと、そうでもありません。プラナリアの場合は真っ二つに切ると頭のほうの上半分は頭がそのままで切り口が肛門になり、下半分のほうの肛門はそのままで切り口が頭になり、「正から負の転化」は起こりません。これが一般的な再生の原則になっています(これを「再生の[場]の影響」と呼びます。「ここが頭である」との情報が頭に近いほうに強いために頭のほうが頭になるとされています)。
 それはさておき、エンゲルスがいうように口と肛門は対立物なのでしょうか。この考えがそもそも間違っています。口は食べる機能を、そして肛門は排泄の機能を果たし、互いに協力しあいながら虫の体全体を生かしているのであって、そこには何の対立もありません。両者は虫を生かし成長せしめる共通目的のもとに機能しているのです。口は食べても肛門が排泄しないとか、肛門が排泄しても口が食べないとすれば、口と肛門が排斥しあい対立しているといえますが、そんなことになれば虫は死んでしまいます。対立物としては存在できないのです。
 では運動はどうでしょうか。そもそもゼノンの飛矢静止論では「飛んでいる矢がある点にあるとき」という空間のもたない数学的な点をいうのですが、そんな点は現実にはありえません。実際の運動は時間・空間の中で行われるので、物体の運動する速度(V)は空間中の距離(S)を時間で割ったものであり、V=S/Tと表されます。ですから物体の運動は一定の時間、一定の距離において考えなくてはなりません。位置だけあって空間のない点(数学的な点)をもって物体の運動を論ずることはできえないのです。
 ですから、ある点(ある場所)における物体の運動は、その場所がいかに微少であっても、それは一定の空間における運動であり、また、ある瞬間における運動は、その瞬間がいかに短くても一定の時間における運動なのです。したがって物体が運動に際して静止しながら同時に運動する(ある場所にありながら同時にない)ことはあり得ないことなのです。
 エンゲルスは、運動している物体はある瞬間に、ある場所にありながら同時にないと主張しましたが、これは運動している物体がある瞬間に同時に二つの位置にいることを意味しています。しかし実際は運動している物体の位置は時間の函数で表されるので、ある瞬間にはある場所が対応しているのであり、別のある瞬間は別のある場所が対応しているのであって、ある瞬間に同時に二つの場所にあるということはあり得ません。
 運動している物体を正確にいうと、物体は【1】静止することなく空間を通過しているのであり、【2】ある瞬間に、ある場所に運動しつつ「ある」といえるでしょう。
 次回は、さらに「対立」の実際をさぐってみます。

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