共産主義は間違っている!
国際共産主義勢力、文化共産主義勢力の攻勢に勝利しよう!

勝共運動による救国救世

共産主義家族論その2

家族を「階級闘争の場」とする
男女を性愛のみで捉え乱婚・フリーセックス社会を目指す恐るべき共産主義家族論

家族について共産主義はどのように考えるのでしょうか。エンゲルスは次のように言います。
 「歴史にあらわれる最初の階級対立は一夫一婦制における男女の敵対の発展と一致し、また最初の階級抑圧は男性による女性の抑圧と一致する」(『家族、私有財産および国家の起源』、以下同じ)  このエンゲルスの一夫一婦制の定義こそ共産主義者が家族をどう見ているのか、その考え方を端的に示すものと言えるでしょう。つまり、私たちが常識的に考えている、家族の基本とする一夫一婦制を「最初の階級対立の場」と捉えるのです。そして、家族を男女の「敵対の場」とし、家族を男性による女性の「抑圧の場」ともするのです。ここに共産主義の家族観の恐ろしさが秘められています。
 このようなエンゲルスの家族観は人類史を階級闘争の歴史とする唯物史観から導き出されたものです。そこでは家族愛や親子の絆、あるいは人格形成の場としての家族観は皆無で、ひたすら「階級闘争の場」として家族を捉えるのみです。ここに最大の特徴があります。

進化論家族観を踏襲

前掲のエンゲルスの著作はマルクスが亡くなつた翌年の1884年に出版されており、エンゲルスによると「階級家族論」はマルクスの遺言だと言います。それほど共産主義思想にとって「階級家族論」は重要な思想的核心を占めるものなのです。
 この階級家族論は、アメリカの民俗学者であるルイス・ヘンリー・モーガン(1818~81年)の研究成果をまとめたものだとエンゲルスは言います。
 モーガンはアメリカ・インディアンのイロコイ族の生活をもとに進化論に基づく独特の家族観を提示した人物として知られています。彼によると、人類は最初の乱婚(群婚・集団婚)の状態から15の形態を経て文明社会の一夫一婦制へと進化したとします(モーガン『古代社会』)。マルクスはこの進化論的家族観を絶賛し、これを共産主義に採り入れるようにエンゲルスに進言したのです。
 それを受けてエンゲルスは原始共産社会を「理想」の社会として、次のように描きます。
 「幾組もの夫婦とその子供達を含んでいた昔の共産主義世帯では、妻たちにまかされた食事のきりまわしは、夫たちによる食糧の調達と同じく、一つの公的な、社会的に必要な産業であった」 すなわち「男子は、戦争し、狩猟と漁猟にでかけ、食物の原料を手にいれ、これに必要な道具をつくる。女子は家事と衣食の用意とに従事する。─つまり料理し、織り、縫う。両者はどちらも、自分が創って使う道具の所有者、つまり男子は武器、猟具、漁具の所有者、女子は汁器の所有者である」ここでは男女は平等であり、しかも「どんな形態の集団婚家族のもとでも、子供の父が誰であるかは確かではないが、その母が誰であるかは確かである。だから、集団婚が存在する限り、出自は母方によってだけ証明でき、したがって女系だけが、認められるのは明らか」とするのです。
 このようにエンゲルスは、私的所有のなかった原始社会では乱婚状態(群婚・集団婚、いわゆるフリーセックス)であるがゆえに女系だったとするのですが、「冨(私有財産)が増加するのに比例してこの冨は一方では家族内で男子に女子よりも重要な地位を与え、他方では、(男子が)この強まった地位を利用して、伝来の(女子・母から子への)相続順位を、(男子・父の)子供達の利益になるようにくつがえそうとする衝動を生みだした」と言うのです。
 こうして男子は、誰の子を産むかわからない共通の妻にではなく、自分の妻に自分の子を産むことを求め、その子に財産を相続させようとして、「一夫一婦婚」という婚姻の形態を作り上げたとしたのです。そしてエンゲルスはこう述べます。
 「(ギリシャが)古代のもっとも文明的な、最高の発達をとげた民族についてたどりうるかぎりでの、単婚の起源である。単婚は、けっして個人的性愛の果実ではなく、それとは絶対に無関係であった。なぜなら、婚姻はいまも打算婚だったからである。それは、自然的条件にではなく経済的条件にもとづく、すなわち原始の原生的な共同所有にたいする私的所有の勝利にもとづく、最初の家族形態であった。家庭内で男が支配すること、また自分の子以外ではありえず、自分の富の相続人となるはずの子をうませること─これだけがギリシャ人があからさまに表明した一夫一婦制の全目的である」

一夫一婦制を歪める見解

このようにエンゲルスは、私的所有が生じたから一夫一妻制が生まれ、そこから階級社会が登場することになったとしたのです。それで一夫一婦制の家族が「最初の階級闘争の場」としました。「母権制の転覆は、女性の世界史的な敗北であった。男子は家庭内でも舵を握り、女子はおとしめられ、隷従させられ、男子の情欲の奴隷かつ子供を産む単なる道具となった」と見たのです。
 夫が妻を(他の男と性交させないために)家庭の中に押し込め支配するシステムが一夫一婦制にほかならないとエンゲルスは断じます。そして「(乱婚時代の)昔の相対的な性交の自由は一夫一婦制の勝利でさえも、決して消滅せず」、そこで「一夫一婦制と並んで存在する男と独身の女性との婚姻外の性交」として、娼妾制や妻の側のさかんな姦通が登場する。娼妾制や姦通は「単婚の永遠の伴侶」としたのです。 さらにこう言います。
 「妻が普通の娼婦とちがう点は、賃金労働者として自分の肉体を一回いくらで賃貸するのではなくて、それを終身の奴隷制に売りわたしてしまうことだけである」ここでエンゲルスが「性交の自由は決して消滅せず」と言ったようにフリーセックスを人間の本性とします。そして原始共産制(無国家)→階級社会(国家)→共産社会(国家死滅)との歴史発展を適用して、乱婚→一夫一婦制→一夫一婦制の死滅(一種の乱婚)へと発展していくとしたのです。

愛は個人的性愛の発作か

エンゲルスは原始共産社会の「乱婚」を憧憬するかのように、一夫一婦制の死滅を国家の死滅のように捉え、これを実に人類の到達点として描いてみせました。そこから共産主義社会における家族観が導き出されます。
 すなわちエンゲルスによれば、プロレタリアは私的所有のない階級なので財産の保有のために妻を支配しておく必然性がありません。男の経済的優越がないので夫の妻への優越もなくなり、そこから男女平等な家庭が生まれ、支配・被支配の関係から解放されて完全なな自由になるとしたのです。
 ちなみに、このエンゲルスの主張こそ、女性(妻・母)に労働を奨める一部の「男女共同参画」論者の根拠としているものです。妻が働いて夫の経済的優越性をなくさない限り、男女平等の家庭になり得ないとして労働に駆り立てる。そうした思想的背景に共産主義があるのは明らかでしょう。
またエンゲルスはこう言います。
 「資本主義的生産とこれによって作りだされた所有関係とが廃止されて、今なお配偶者の選択に強い影響を及ぼしている副次的な経済的考慮がすべて取り除かれたときに、はじめて(婚姻締結の完全な自由は)あまねく実行され、…そのときには、相互の愛情以外にはもはやどんな動機ものこらない」愛情だけに基づく男女関係しか残らないのが共産主義社会だとエンゲルスはいうのです。ただし、その愛情とは真の愛(アガペーの愛)ではなく、あくまでも性愛でしかありません。だから、エンゲルスはこんなことも言います。
 「(夫婦における)個人的性愛の発作の持続期間は、個々人によって非常に相違する。とくに男のばあいはそうである。そして、愛着がまったくなくなるか、あるいは新しい情熱的な恋愛によって駆逐されたばあいには、離婚は当事者の双方にとっても社会にとっても善行である」  愛情と言っても、男女を性愛の関係のみで捉え、個人的性愛の「発作の持続期間」が個々人によって相違があるから、愛着がなくなれば、さっさと離婚したほうが善だというわけです。恋愛の変転、離婚の繰り返しを当然視するエンゲルスの共産主義的家族論は、まさに乱婚社会、フリーセックス社会を目指すものと言えるでしょう。
 共産主義者はしばしば「万葉集」の時代の男女関係を理想のように描き(例えば、“人と性”教育研究協議会代表・山本直秀著『ヒューマンセクソロジー』一橋出版)、不破哲三前共産党議長も「一人の男が何人もの女のところに通う多妻現象はもちろん、一人の女のところに何人もの男が通う多夫現象」(不破哲三「講座『家族、私有財産および国家の起源』入門」新日本出版)を偲びます。その再来が共産主義社会です。
 これなら社会全体が娼妾、姦通状態に陥るのですから、とりたてて娼妾や姦通が問題視されることはないでしょう。こうして「原始社会」の乱婚状態にアウフヘーベン(止揚)されるというのが共産主義社会における家族です。そこには家族の絆もなければ、親子、夫婦、子女の愛といった人格的側面は一切論じられません。倫理・道徳破壊の家族論、家族解体が共産主義家族論にほかならないのです。

勝共思想講座 疎外論
勝共思想講座 唯物論
勝共思想講座 唯物弁証法
勝共思想講座 唯物史観
勝共思想講座 認識論
勝共思想講座 疎外論の克服
勝共思想講座 家族論