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勝共運動による救国救世

共産主義家族論その3

「性の解放」から家族解体へ
女性を労働へと駆り立て、ジェンダーフリーという新たな階級闘争を仕掛ける文化共産主義

「女性の解放」という視点から近代における思想的潮流を見ておきましょう。
 フランス革命における「人権宣言」(1789年)は「人間は自由かつ権利において平等なものとして生まれた」としていますが、女性の自由や権利はあまり論じられませんでした。しかし19世紀になり産業革命が進むと、女性の置かれた劣悪な環境や人権軽視を見過ごすことができなくなり、多くの人々が女性救済の声をあげました。
 その声のひとつはキリスト教の牧師や篤信的な信者からのもので、唯神論的な「博愛主義」の立場から女性救済運動を起こしました。それは女性を含めて家族を保護しようと、精神的な家族の絆を基礎に女性の幸福を図ろうとするものです。とくにイギリスにおいて展開されました。

プロレタリア解放と女性

これに対して、もうひとつの声は唯物論的な社会主義の立場からのもので、女性が抑圧・差別されているのは経済的自立(物質的条件)がなされていないからであり、男性支配の家父長的家族によって女性が家に閉じこめられている限り女性の真の解放はなく、したがって家族解体を通じて女性救済が可能となるとする考えです。フーリエらフランスの社会主義者がそうです。
 工業化や都市化が始まった19世紀半ばの米国では、工場などの職場で働く男性と家庭で家事・育児に専念する女性という「性的役割分担」(文化共産主義はこう呼ぶ)が登場します。そうした社会的背景のもとで、エリザベス・ケイディ・スタントンらは「性的役割分担」からの解放を主張し、マルクスが「共産党宣言」を著した同じ年の1848年、ニューヨーク州で「女性の権利」大会を開きます。彼女らは従順や貞節などの「女性の美徳」を真っ向から否定し「聖書と教会が女性解放のもっとも大きな障害」としたのです。
 このように女性の解放をめぐって片や唯神論的な家族保護、片や無神論的な家族解体という二つの潮流があらわれます。19世紀のこうした論争は21世紀の今に引き継がれていると言ってよいでしょう。
 マルクスとエンゲルスの考え方は言うまでもなく後者の立場です。第1に、マルクス主義唯物論は存在物を「矛盾」(対立物の統一と闘争)として捉えますので、男性と女性も対立物と見ます。ちなみに西洋思想には東洋のような陰陽思想がなく、陰陽の調和(相対物)を重んずる捉え方が希薄なのです。
 第2に、マルクス主義唯物論は精神よりも物質を本質的存在と捉えます。それを社会と歴史に適用した唯物史観では「土台と上部構造」の理論で明らかなように、経済的人間関係を基礎に据え、精神的な絆を二次的にしか見ません。そこから精神的な取り組み(たとえば博愛主義による女性救済運動)は土台(その時代の階級支配)を強化するだけにすぎないと断ずるのです。
 第3に、共産主義の人間観はダーウィンの進化論に基づいており、労働を最も重要な概念とします。エンゲルスは『自然の弁証法』の「猿が人間化するにあたっての労働の役割」という項の中で「労働は人間生活全体の第一の基本条件であり、しかもある意味では、労働が人間そのものをも創造したのだ、と言わなければならないほどに基本的な条件なのである」と述べています。つまり労働が人間を作ったとして「神の座」に置き、ここから労働を神聖化し、それを行わない女性を遅れた人間として「蔑視」するようになったのです。
 第4に、共産主義は一夫一婦制の家父長的家族を「階級対立の場」と捉え、男性と女性の関係を階級抑圧の関係と見ます。家族関係を敵対関係として捉えることによって、家族を否定するようになります。
 以上からエンゲルスは、女性が男性に従属する起源は私有財産を継続していく家父長制家族にあり、それゆえ女性を差別・抑圧から解放するには「経済単位としての家族」を解消し、女性を労働(社会的生産労働)に参加できるようにしなければならないと主張するにいたります。つまり、女性解放はプロレタリア解放とイコールとしたのです。

性の解放で女性権利を拡大

このようにマルクス主義は資本主義社会を打倒して社会主義社会を作れば、おのずから女性に対する抑圧・差別がなくなると考えたのです。伝統的な共産党はこうした考えに立ちます。
 しかし、1919年にロシアで共産革命が成功し、社会主義社会が樹立されると、事態は大きく変わります。社会主義革命を通じてプロレタリアが解放されたはずのソ連において、はたして女性は差別・抑圧から真に解放されたのか、こういう問いかけが当の共産主義者からなされるようになったのです。
 ロシア革命直後(1920年代)、確かにマルクス主義に基づいて伝統的家族が解体されました。しかし、ロシア社会はアナーキー的状況に陥り(たとえば少年非行の急増)、スターリンは独裁(プロレタリア独裁)を強化するため、家族システムを利用しようと考え、従来の家族制度を 復活 させ、結局、ソ連では19世紀に提起された女性問題は何ら解決されませんでした。
 それどころか「働かざる者は食うべからず」とされ、女性を労働に駆り立てたのです。したがって 復活した家族も結果的には解体を余儀なくされ、女性が真の幸福を得ることはなかったのです。
 そこからソ連体制に失望した欧米の共産主義者たちから新たなマルクス主義の動きが起こってくることになります。
 ドイツでは社会民主党(すなわち共産党)が議会に基礎を置く改良主義的な民主社会主義に転換する一方、ローザ・ルクセンブルグらは大衆ストライキに基礎をおく過激な革命論をとなえます。またマルクス疎外論の原点に立ち返って労働者の自己解放に重点を置こうとする考えなどが派生してきます。
 ロシア革命とソ連体制に失望したマルクス主義者が20年代から体制変革を目指す共産主義から体制の基盤たる宗教や家庭を崩壊させる「文化革命の共産主義」(文化共産主義)に変身したのです。ハンガリー共産党のルカーチが過激な性教育を学校教育に持ち込み、イタリア共産党のグラムシがメディアを通じた「文化革命」を目指したのがその代表です。
 政治離れして思想的にマルクス主義を深めようとしたのが、フランクフルト学派と呼ばれる人々です。彼らはフロイトの精神分析をマルクス主義的に組み入れ、そこから後にライヒの「性器的人間」、マルクーゼの「エロス的文明論」が登場することになります。それらは60年代の米国のフェミニズム(女権拡大主義)運動の思想的バックボーンとなりました。
 フロイトの弟子だったライヒは「全ての人間はオルガスム(性的快感)を求めて生活している」との性欲理論を打ち立てます。結婚するまでは純潔でなければならないという考え方はブルジョアが発明したものとしました。これは男性に対しては要求されず、もっぱら女性に強制されるが、それは資本主義社会において遺産相続の掟がきわめて重要な意味を持っているからだと言うのです。この考えは基本的にエンゲルスの家族論を引き継いだものです。
 ライヒは、厳格な性道徳はセックスが悪いものだという印象を与え、性的神経症や倒錯を生むとし、解決策は性を健康的で楽しいものとみなし、強制的な性道徳を拒絶することだとしてフリーセックスを礼賛したのです(コリン・ウィルソン『性と文化の革命家』)。またマルクーゼ(1898〜1979年)はエロスを解放し性的欲動を実現する「エロス的文明」を提唱するにいたります。

階級闘争のジェンダー論

一方、フランスではサルトルやボーヴォワールの実存主義的マルクス主義やフーコーの構造的マルクス主義が60年代の過激な学生運動をリードし、80年代になると、フェミニズム学者クリスティーヌ・デルフィがジェンダーフリーをとなえます。
 デルフィは、「男らしさ」や「女らしさ」は社会的に作られてきた通念であって社会を「階層的」に組織するための区分にしかすぎないとします。中間的な性も存在するから初めから性差などは存在せず、男・女という二分法の性差は実際にはあり得ないとし、意図的に作られた人間集団の分割線(ジェンダー)を壊さなければ女性差別は解消されないと主張したのです。
 この考え方の基本もライヒ同様、エンゲルスの家族論を継承したものです。マルクスの支配と被支配という矛盾の概念の延長線上に男性を支配層、女性を被支配層とする考え方を反映しています。また土台と上部構造の理論を巧みに導入し、歴史的に作られてきた文化的、社会的な男女の型(ジェンダー)こそ支配の形態であるとしたのです。支配者(男)が被支配者(女)を支配しておくために「男らしさ」や「女らしさ」といったレッテルや慣習、制度、常識が作られてきたとするのがジェンダーと言うわけです。
 このように支配者が階級支配を強化するためのジェンダーなのだから、これを破壊しなければならないとし、これを正義とします。つまり文化共産主義者にとってジェンダーフリーとは階級闘争そのものなのです。フェミニズムやジェンダーフリーは共産主義家族論を継承し、体制の革命を言わずに女性解放=家族解体を叫ぶわけです。

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