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共産主義家族論その4

実証されず破綻した進化家族論
エンゲルスの家族論の種本であるモーガン説はすでに学会から葬り去られている作り話にすぎない

共産主義家族論は一夫一婦制の家族を「最初の支配の形態」「最初の階級闘争の場」と位置付け、女性が労働によって経済力を身につけ家族から「解放」され、「自由恋愛」によるフリーセックス社会が実現することを理想とします。
 エンゲルスがその根拠としたのはアメリカの民俗学者ルイス・ヘンリー・モーガン(1818〜81年)の進化論的家族論でした。エンゲルスはマルクスが死亡した翌1884年に『家族、私有財産および国家の起源』を出版しますが、その初版の序文に次のように述べています。
 「(本著は)遺言の執行をなすものである。カール・マルクスその人がモルガンの研究の諸成果を、彼の—ある限度内ではわれわれのと言ってもさしつかえない—唯物論的な歴史研究の結果とむすびつけて叙述し、それによってはじめてその全意義をあきらかにすることを、自分の仕事として予定していた」
 つまり『家族—』はマルクスの遺言であり、その内容はモーガン(ドイツ語読みではモルガン)の研究成果をまとめたものとエンゲルスは言うのです。ここからもマルクスの共産主義構築の究極の目的が「家族解体」にあったことがうかがい知れるでしょう。
 モーガンはいわゆるネイティブ・アメリカンのイロクォイ族らと生活をともにし、進化論に基づく独特の家族論を提示した人物です。その著作が『古代社会』で、これをマルクスとエンゲルスは唯物史観を実証するものとして歓喜して受け入れたのです。『古代社会』は、家族を乱婚(集団婚または群婚、雑交とも呼ばれる)から始まったとし、人類は最初の乱婚の状態から15の形態を経て文明社会の一夫一婦制へと進化したと唱えました。
 しかし、この結婚の図式は果たして歴史的事実なのでしょうか。原始共産社会が歴史的に実証されていないように、「原始乱婚」といった結婚形態が存在した証拠はまったく存在しません。モーガンはイロクォイ族の研究から乱婚説を唱えましたが、その後の調査ではこの種の乱婚は確かめられていません。
 平凡社『哲学事典』は乱婚(集団婚・群婚)について次のように記しています。
「モーガンをはじめとする初期の学者は、集団婚を人類が進化の途上で必然的に経過すべき時期として考えたが、例外的でなく制度的にこの形態をとっている種族が現実にはほとんどないために、しだいにかかる考え方は捨てられつつある」
 フェミニズム社会学者として著名なA・ミシェルでさえ「最古の埋葬場所で同一の場所に葬られた男女があったという事実は、一夫一婦制が旧石器時代にも一般に行われていたことを示すように思われる」(『家族と婚姻の社会学』)と、モーガン説を否定するほどです。

ウェスターマーク説が否定

モーガンの原始乱婚説に真っ向から異を唱えた最初の人物は、フィンランド生まれのイギリスの人類・社会学者エドワード・ウェスターマーク(1862〜1939年)です。彼は世界各地の結婚の形態を調査・研究し豊富な資料をもとに『人類婚姻史』(1891年)を著しました。それによると、人類の婚姻史は原始の時代から一夫一婦制度を基調として展開されており、その根拠は生物学的要因によるとし、モーガンが唱えた「原始乱婚説」はまったく根拠がないとしています。
 ウェスターマークのモーガン批判は、進化論的家族論への批判として大きな反響を呼び、現在ではモーガン説は歴史的事実でなかったとして学界から葬り去られています。もはや進化論的家族論、階級家族論の正当性はどこにも存在しないと言ってよいでしょう。
 ただしウェスターマークの家族論はその後、フロイトによる精神分析学の登場とその影響下で成立したポストモダン思想(とりわけレヴィ=ストロースに始まる構造主義人類学)によっても黙殺されるようになりました。しかし近年、霊長類の研究が進むと、ウェスターマーク説を裏付ける研究成果が次々と現われています(例えば、進化人類学分科会・第5回公開シンポジウム「インセントの回避がつくる社会関係」京都大学・山極寿一氏の報告)。

愛情や精神的関係を軽視する

共産主義家族観は親子や夫婦、兄弟姉妹あるいは祖父母や子孫といった縦横の人間関係をまったく語りません。愛や絆という概念が存在せず、とりわけ親子の縦的な精神的関係はまるで存在しないかのように軽視するのです。
 それは弁証法的唯物論のせいです。それにしたがえば、物質が本質的で精神はその産物でしかないのです。この考えを歴史や社会に当てはめ(すなわち唯物史観)、人類社会の土台は物質的な生産関係であり、家族の絆といった愛情関係は土台の上に成り立つ上部構造として2次的なものとして扱います。より本質的なのは、人間関係ではなく生産関係というわけです。
 こうした見方は一面的なものにすぎません。人間は人や自然とさまざまな関係を結んで生きており、家庭での親子、兄弟のつながりや地域コミュニティでの人のつながりなど多様です。物質生活を全ての基礎に据える唯物史観はそうした人間関係を顧みることなく、経済的な生産関係を「客観的で最も基本的な関係である」と規定してしまっているのです。
 マルクスによれば、生産関係というのは人が生産過程でとり結ぶ社会的関係のことです。具体的には生産手段が誰によって所有されているかを基礎として捉える人間関係を生産関係と定義しています。だから、一夫一婦制の家族を「自分の冨の相続人となるはずの子をうませる」(エンゲルス)ものと捉え、私的所有の延長線上に家族を見ることになるのです。
 それゆえにエンゲルスの結婚観はきわめて歪です。「結婚は当事者たちの階級的地位によって制約されており、その限りではいつも便宜婚である」として、次のように言います。
「この便宜婚は、どちらの場合にも、しばしば最も極端な売春に転化する—往々にして夫婦双方の、しかしごく普通には妻の売春に。彼女が普通の売春と区別されるのは、彼女が賃金労働者として自分の肉体を一回いくらで賃貸するのではなくて、一回こっきりで奴隷制に身を売り渡していることによるだけである」(『家族・私有財産・国家の起源』)
 共産主義にとって結婚とは便宜上のもの、「間に合わせ」なのです。男女の結婚を肉欲的な性愛のみで捉え、親子関係は「富の相続」という物質的側面でしか見ないのでそういう結論に至ります。存在物を対立物とする弁証法的唯物論によって夫婦も親子も支配と被支配の関係でしか捉えないからです。生産関係が土台であり、愛情や人間関係は上部構造として本質的価値を認めないところから、そうなるのです。
 はたして生産関係が人間にとって最も基本的な社会関係なのでしょうか。むろんそれも必要ですが、私たちの日々の暮らしを振り返る限り、マルクスの主張に同調する人は多くないでしょう。なぜなら私たち人間にとって最も基本的な人間関係は何といっても家族関係なのですから。
 結婚は古今東西、キリスト教でも神道、いかなる宗教でも神聖なものとして扱い、神仏の前で夫婦の誓いをもって家庭をスタートさせます。親子関係や兄弟関係は単に生産手段の所有をめぐる人間関係ではありません。基礎的な共同体であり、ここで人間は精神的にも肉体的にも育っていくようになっているからです。人はパンのみに生きるにあらず、です。

家族こそ本質的な人間関係

ドイツの社会学者テンニースは人間社会を家族や地縁・血縁集団に代表されるゲマインシャフト(共同社会)と利益・機能集団に代表されるゲゼルシャフト(利益社会)とに分類していますが、マルクスの生産関係は後者のみに焦点を当てた偏った見方というほかありません。物質を至上のものとするので生産関係のみに目が向くのです。
人間は心と体の二側面すなわち精神的側面と物質的側面から成っており、前者が主体、後者が対象です。したがって人間関係には精神的なものを中心とした人間関係と、物質的なものを中心とした人間関係の両側面があり、前者が家族関係を基盤とした愛によって結ばれる本質的な人間関係であり、後者は生産と消費を中心とする経済的な人間関係ということになります。精神的な人間関係を基礎にして経済的関係が成り立っているのが本来の姿です。
 人間の本質をとり違えたがゆえに共産主義家族観は決定的な誤謬をおかしたと言えるでしょう。

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