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勝共運動による救国救世

人間疎外論の克服その3

プロレタリアートを偶像化
労働者階級への幻想

マルクスが人間疎外の本質の把握において誤った三点のうち人格的側面の無視と誤った資本観について前回見ました。第三の誤りは、プロレタリアート(労働者階級)を偶像化してしまったことです。
 彼は人間疎外を物質的な問題として扱い、人格的・倫理的な問題として扱おうとしませんでした。ところが、ブルジョアジー(資本家階級)に対しては、あたかも悪魔のように絶対的悪であると考え、「(資本家による)直接的生産者の収奪は、なにものをも容赦しない野蛮さで、最も恥知らずで汚らわしくて憎らしい欲情の衝動によって行われる」(『資本論』)などと、感情を込めて糾弾しました。
 このようにブルジョア階級については人間性を厳しく告発したのです。しかし、マルクスはプロレタリア階級については「ブルジョア階級を暴力的に崩壊させ、それによってプロレタリア階級がその支配を打ちたてるときがきた」(『共産党宣言』)と、一方的に神聖化したり理想化したりし、労働者階級の「欲情」は不問に付しました。
 こうしたマルクスの労働階級観について後にロシアの哲学者ベルジャーエフは「プロレタリアートは搾取という原罪に汚れていない唯一の階級である」「プロレタリアートとは神秘的観念であるが、それは同時に最高価値であり、絶対善であり、至高の正義でもある」(『共産主義という名の宗教』)と述べ、神聖化を看破し批判しました。
 ブルジョア階級を邪悪なものとする一方で、プロレタリア階級とその代表である共産主義者については何の検討も加えずに無条件に善なるものとして理想化つまり偶像化してしまったわけです。これはマルクスの致命的な誤りだったといえます。
 人間性の疎外現象は、ある一つの階級のみに限られたものでなく、人類に共通する現象であったはずです。これを見落とし、プロレタリアートを偶像化することによって逆に人類史上稀な世界的な人権抑圧をもたらす過ちを犯したのです。
 ユーゴの元副大書ミコバン・ジラスが『第三の階鼓』 において指摘したように、共産主義者は理想社会を目指して革命のための闘争を行っている間は、献身、犠牲、同志愛などの一定の道徳律を維持していましたが、ひとたび権力を握れば、それらは消滅し、特に指導者は偏狭で偽善的な支配者に転化し、冷酷で残忍な非人間的な圧政者に変貌していったのです。
 レーニンもスターリンも、毛沢東、金日成、ポル・ポトも民族、時代を超えて共産主義指導者は等しく圧政者になっていったのです。
 このようにマルクスは人間疎外の本質を誤って捉え、すなわち①人格的側面の無視②誤った資本観③プロレタリアートの偶像化という三つの誤りを犯すことによって人々を人間疎外から解放することができなかったばかりか、かえって数十億の人々に悲惨な運命を背負わせることになつてしまったのです。

無視したキリスト教精神

マルクスが人間把握の本質把握を誤ったばかりか、資本主義社会の性格把握においても誤りました。それは彼が形状面である経済的側面のみを問題視し、政治的・宗教的側面は経済の派生物ないし付属物のように軽視したことです。
 そのため資本主義の政治理念である民主主義と、資本主義の価値観の基盤となっていたキリスト教(新教)が資本主義経済の発展にいかに貢献したか、このことを彼は悟ることができなかったのです。
 マルクスが英国、フランス、米国のような先進資本主義国家でまず革命が起こると予言したにもかかわらず、これらの国において革命は起こらないまま、今日まで紆余曲折があるとはいえ比較的健全に経済が成長してきたことは周知のとおりです。
 それは、キリスト教の価値観に支えられた民主主義理念が無意識の中に、さまざまな次元の授受作用を通じて経済的な矛盾と欠陥を不完全ながらも漸次的に改善してきたからといえるでしょう。
 例えば、エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845年)でつぶさに見た、英国の労働者の悲惨な暮らしは、資本家らの「良心」(キリスト教精神)によって次第に改善されていきます。1847年には公衆衛生法が制定され、労働者の劣悪な環境は著しく改善されました。1850年代から70年初めにかけては好景気に沸き、それに伴って貸金も上昇しました。90年代の実質賃金は50年代に比べて二倍増になったとされます。さらにその後、労使がお互いに協調し合い、非人道的な社会を変革していったのです。
 また英国では1860年代から80年代にかけて選挙制度が相次いで改革され、19世紀後半には労働者の主張を糾合した自由党がしばしば政権の座に就くようになりました。そして1900年にはついに労働者の政党である労働党が結成されるに至りました。このような変革が資本主義社会では可能だったのです。

自らの理論に束縛される

なぜマルクスはキリスト教や民主主義が資本主義経済の矛盾や弊害を改善しうるということに考えが及ばなかったのでしょうか。それは宗教や政治などの上部構造は、土台である生産関係(経済)によって規定されるという、彼自身の樹立した「土台と上部構造」理論に縛られていたからです。
 「土台と上部構造」の理論によれば、資本主義社会の宗教(キリスト教)も政治(民主主義)も上部構造であって、土台である資本主義的生産関係の産物であると同時に、その生産関係に奉仕し、それを強化するように働くとみます。上部構造はしょせん、資本家階級の階級支配に有利なように作用するしかないとしたのです。
 したがって、宗教や政治の力によっては、資本家による労働者の搾取の廃止は期待できないと決め付けたのです。そして労働者階級を神聖化し、人間疎外問題の解決のために資本主義的体制を打倒せねばならない。このようにマルクスは頑なに信じたのです。こうしてマルクスは民主主義と宗教(キリスト教)が資本主義の発展に寄与した功績を見逃す誤りを犯したのです。

アイルランド移民とエンゲルス

 マルクス主義に貫かれているのは、ブルジョアジーヘの憎悪だ。それを実感する最適の書は、本シリーズでしばしば紹介しているエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845年)である。彼はマンチェスターで出会ったアイルランド移民の19歳の女の子、メアリー・バ -ンズに連れられて紡績工場や労働者居住区を回り、ここで悲惨な実態を知って、この著作をまとめた。
 メアリーは後にエンゲルスの妻となり、その死後、妹のリジーが後妻となる。エンゲルスとアイルランド移民の関係は深い。それだけに彼女らへの愛情の裏返しがブルジョアジーへの憎悪となったと言ってよい。その憎悪がエンゲルスをして戦闘的唯物論者に仕立て上げた。
 アイルランド移民の子といえば、ジョン・F・ケネディやジョン・フォードなどアメリカに渡って成功した有名人も少なくない。アイルランドをめぐる悲喜こもごもが、マルクス主義の憎悪を掻き立てたと言うのは考えすぎだろうか。今となれば、エンゲルスの憎悪の著作よりも司馬遷太 郎の愛情の著作、『街道をゆく』シリーズの「愛蘭土(アイルランド)紀行Ⅰ・Ⅱ」(朝日文庫)をお勧めしたい。

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