共産主義は間違っている!
国際共産主義勢力、文化共産主義勢力の攻勢に勝利しよう!

勝共運動による救国救世

人間疎外論の克服その7

動機からの解放へ価値観運動を
共産主義の価値観破壊を克服する「真の愛」に基づく価値観運動が必要だ。それこそが宗教を復興させ世界を救う。

マルクスは憎悪や妬み、仕返しを動機に共産主義思想を体系化し、その思想による実践(革命)を促しました。それで共産主義から人々を解放するには、その原点となっている動機から解放し、次いで思想から解放し、そして最後に実践から解放しなければなりません。
 すでに見たように、疎外の本質は労働生産物からの疎外ではなく、「真の愛」からの疎外にほかなりません。ですから共産主義を克服するには私たちは「真の愛」に立ち返り、すべての人々が納得する新しい価値観を定立しなければならないと考えます。
 前回紹介した統一思想による人間味外の解決の方案とは、全く新しいことではなく、それはまさにキリスト教の「神の愛」、仏教の「慈悲」、儒教の「仁」、イスラム教の「アラーの愛」を真の意味で正しく捉え、それを実践することと言ってよいでしょう。
 これらで代表される宗教は、本来の価値を失った人間が絶対的愛と絶対的価値を実現できるように、その時代や地域の特性に応じて今日まで全人類を導いてきたと考えることができます。
 こうした教えとは規範のことであり、価値観のことです。価値観とは、善悪の価値判断、つまり「何が正しいか、何を最も貴いもの、価値あるものとみるか」という観点を言います。英国の歴史学者トインビーが「世界四大文化圏の発生の源泉は宗教にある」と述べたように、宗教が人々の価値観を形づくり、文明を生みだしてきたのです。私たち日本の伝統的価値観も、その根底に日本の伝統的宗教が存在していることは間違いないことです。
 聖徳太子が作った十七条憲法は、その中心思想が「三宝」すなわち仏教ですが、儒教の道徳を取り入れ、神道的信仰にも門を開き、神仏儒が調和されています。こうした宗教的背景のもとで「和の精神」、日本の伝統的価値観が形成されてきました。

戦闘的唯物論ゆえの破壊

いずれの国も宗教をバックボーンに価値観を持っています。ところが今日、宗教的教え、価値観がその説得力を失いつつあります。それは科学的思考方式に慣れた現代の人々を納得させる論理性と実証性が薄くなり、また物質文明下で社会の唯物論的風潮や唯物論的教育によって、宗教や倫理、道徳が軽視されてきたからです。とりわけ共産主義は意図的に価値観の破壊を繰り広げてきました。
 共産主義による価値観の破壊とはいかなるものでしょうか。マルクス主義は本来、疎外からの解放をめざしますが、それがかえって経済的停滞、自由の剥奪、労働の強制の苦痛、権力に応じた配分など、より一層の人間性の揉爛をもたらしました。これを価値という側面でみれば、共産主義は既存の価値観を破壊する思想となったのです。
 共産主義唯物論は、単なる人道主義的な唯物論とは違って戦闘的唯物論です。宗教的価値観を一切、許容せず、その存在を許しません。すべての思想を、党派性をもって識別し、共産主義唯物論でないものは、すべて支配者階級に奉仕する思想と断ずるからです。
 また唯物史観の「土台と上部構造」の考え方は、社会の土台は生産関係(例えば資本家と労働者という支配・被支配関係)であり、上部構造である宗教や思想、価値観は土台の産物であり、しかも土台を強化・固定化するために働くとします。
 つまり、資本主義社会に存在する価値観は、資本主義の産物にすぎず、資本主義を強化・固定化するような価値観を提供するので、労働者階級に敵対するというのです。
 それゆえに共産主義は既存の価値観を支配階級に奉仕するものとして徹底的破壊を試みるのです。共産政権を樹立すれば、その破壊に強権をふるい、資本主義社会の中でも文化や教育、思想、メディアなどで〝価値観壊し〟が繰り広げられることになります。
 ですから動機から解放するには価値観の再定立が不可欠なのです。

新しい価値観運動の意義

マルクスが「マルキスト」(共産主義者)になった動機は憎悪と嫉妬、怨念でした。それゆえにその動機から解放するには、真の愛、慈悲による絶対的愛によって人間性を回復せしめなければなりません。それによって動機から根本的に解放する必要があるのです。
 そして、マルクスの思想から解放しなければなりません。共産主義思想すなわち弁証法的唯物論、唯物史観、資本論の代案を提示して解放するのです。それが本稿で提示してきた統一思想の授受法・調和の法則、効果価値説にほかありません。
 共産主義は従来の宗教的価値観を否定し、人々を革命へと駆り立てようとしました。革命に動員できなくても、価値観を壊して社会秩序を揺るがそうとしてきたのです。従来の宗教的価値観は主として個人の救いを中心におきますが、これに対して共産主義は社会の貧困や差別を解決すべきであると迫ります。また神の愛とか、慈悲、仁、アラーの愛、あるいは人類愛というのは観念的であって実践できるものではないと決めつけるのです。
 そして階級社会においては、プロレタリアートの側に立つか、ブルジョアジーの側に立つかの二者択一を迫り、階級愛や同志愛が真の愛であると主張するのです。さらに最近では、国家体制の転覆をめざす体制(正当派)共産主義が衰退したことを受け、フェミニズムやジェンダーフリーといった文化共産主義が徘徊しているのも大きな特徴です。
 こうした共産主義の攻撃に対して従来の宗教的価値観は有効に反撃することができず、逆に共産主義に汚染され、次第にその説得力を失っているのが現実です。その結果、多くの信者が共産主義に奪われ、ついには宗教(特にキリスト教)自体が共産主義を容認する、つまり容共化する傾向まで現れているのです。
 こうした共産主義の実践から解放しなければなりません。それには共生共栄共義社会を実現させねばなりません。共生とは共同経済のことで、倫理的経済を言います。昨今の強欲な金融資本主義では共産主義者を解放することはできません。真の経済システムの構築が必要なのです。共栄は共同政治のことで、ポピュリズム(大衆迎合主義)的な民主主義ではなく、父母の心情を基盤にする父母主義的民主主義を言います。そして共義は、共通倫理すなわち人類に普遍的な倫理・道徳基盤を確立することです。こうした実践によって共産主義による間違った実践を克服し、彼らを実践から解放しなければなりません。
 このように従来の宗教的価値観を共産主義による価値観破壊から守り、それらを蘇生せしめ、かつ新しい次元に高めながら、統一せしめる新しい価値観運動が必要になってくるのです。従来の価値観に新たな神学的根拠、哲学的根拠、歴史的根拠を与え、ゆるぎない絶対的価値観(普遍的な価値観)を確立して、共産主義を量がしなければならないわけです。
 そうすれば、彼らの実践すなわち自由の剥奪や宗教弾圧、労働の強制などから人類を解放することができます。共生共栄共義主義社会の実現をめざす一大運動が不可欠なゆえんは、以上のことからご理解いただけると思います。それゆえに私たちは「万国の人々よ、新しい価値観運動を展開しよう」と主張するのです。
 新しい価値観運動が世界的に展開されてこそ、共産主義問題の真の解決が図れるのです。これが勝共運動にほかありません。文化共産主義の攻勢が続いている今日、勝共運動は一層、その必要性を増しているといえるでしょう。
 以上で、マルクスの人間疎外論の批判と代案を終えます。これで勝共理論をすべて紹介したことになりますが、文化共産主義に対応するためにマルクス主義の家族観について次回から述べることにします。

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