共産主義は間違っている!
国際共産主義勢力、文化共産主義勢力の攻勢に勝利しよう!

勝共運動による救国救世

マルクス主義認識論その3

認識は「照合」によって可能に
なぜ人は認識が可能なのか、統一認識論は従来の認識論を超克する照合論を展開する
相似的な対応関係

マルクス主義認識論を批判する前に代案である統一認識論を提示しています。前回は認識の起源と認識対象の本質について見ました。では、統一認識論は認識の要件についてどのように捉えるのでしょうか。
 カントは外部の対象から来る認識的内容が主体の中にある先天的な形式と結合されて初めて認識されると言い、内容は対象のみから与えられるとしました。しかし、統一認識論では主体の中にも対象の内容に相似した内容が映像としてあると見ます。
 例えば、バラの花を判断するとき、カントの言う形式だけでは判断は不可能であり、バラの花の内容が映像として主体の中、つまり人間の意識の中にあって初めて判断(照合)が可能になるのです。形式に関しては、カントが主体の中に先天的な思惟形式(悟性形式)があると主張したのに対してマルクス主義は、形式は物質の存在形式(実在形式)であり、形式は外部にあると主張しました。それに対して統一認識論は主体と対象の相似性を主張し、対象の存在形式と主体の思惟形式の両方を認めます。
 すなわち形式は外部と内部の両方にあると見るだけでなく、両者は相似的な対応関係にあると見るのです。結局、統一認識論は主体にも内容と形式があり、対象にも内容と形式があり、両者が照合、統一されるとき認識が成立すると見るわけです。
 このことをさらに掘り下げてみましょう。統一思想では生物は原理の自律性によって成長すると説明します。この場合、自律性とは生物体に潜在している意識のことであり、それは生命にほかありません。このような潜在意識の中で、とくに細胞の次元における意識を原意識と呼びます。
 原意識には細胞それ自身や細胞よりなる組織、あるいは器官の構造や機能などの内容が投影されており、これを原映像(内容像)と言います。また他の細胞や器官などとの関わり方(授受作用)の形式すなわち存在形式も投影されており、これを形式像(関係像)と言います。この両者を合わせたものを原型と呼びます。
 このうち潜在意識における形式像は思考に一定の制約性(枠組)を与えています。この思考の制約性が思惟形式(または範疇)なのです。ですから統一思想では存在形式と思惟形式には対応関係があると見ます。その最も基本的な存在形式と思惟形式は図のようになります。ですから、カントが主張するように思惟形式が存在と無関係にあるのではなく、またマルクス主義が主張するように外界の実在形式が反映して思惟形式となるのでもありません。人間自身がもともと時間性と空間性を備えた存在であるがゆえに、時間と空間の思惟形式を初めから持っていると見るのです。

授受作用が認識の基本

次に統一認識論における認識の方法について見ましょう。
統一思想では、主体と対象の授受作用によって生存、繁殖(発展、生成)、作用(運動、変化、反応)などがなされるとします。認識は知識の増殖、すなわち観念や概念の増殖であるので、したがって認識も授受作用(授受法)によるのです。
 そのとき主体(人間)は対象に対する関心をもつこと、対象に相応する原型(相応性原型あるいは相似性原型と呼ぶ)を備えている必要があります。主体が対象に関心をもたねばならないのは、主体と対象の授受作用には回路の形成が必要だからです。
 例えば、書店には膨大な数の本が並んでいます。この本のうち、認識するのは関心のある本に限られます。関心がなければ授受作用ができず、いくら本が沢山あっても結局、認識できないのです。友人と道で出会っても他のことに意識が奪われていると、気付かないこともそうです。
他方、対象(万物)は内容(属性)と形式(存在形式)を備えています。このような対象とそれに対する相応性原型をもった主体が授受作用するとき、その結果として認識がなされるのです。そのとき授受作用の中心(動機)となっているのが目的で、したがって認識とは構造的に見れば図のような四位基台の形成であり、過程的にみれば正分合作用の三段階構造の形成です。
 また認識は「三段階完成の法則」(蘇生、長成、完成の三段階完成)に従って感性的、悟性的、理性的の三段階を経て完全なものになります。感性的段階では外界からの感覚的内容と個別的な存在形式に関する情報が、知覚神経を通じて脳に至って観念化(表象化)されて断片的な観念(表象)となると考えられます。
 この段階では断片的な認識としての感覚を得るだけで、統一的な認識はなされません。次に悟性的段階では、感性的段階において形成された断片的な表象が、複合または統一されて外的映像(内容像および形式像)となり、それに相応する内的映像(内容像および形式像)すなわち主体の内界の相応性原型と照合されます。ここにおいて認識はひとまず完了します。さらに理性的段階では、もはや外界の対象の条件に拘束されないで、それまでの経験によって蓄積された、さまざまな観念や概念を複合、連合しながら、自由に推理し思考を進めて、より一層深い知識を得るのです。
 例えば、電車で居眠りをし、とある駅でぱっと目を覚ましたとしましょう。まずプラットホームのシーンが目に飛び込んできます。その瞬間が感性的認識です。すると、原型として記憶しているプラットホームと照合し、これを駅だと認識します(悟性的認識)。と同時に、ここはどこの駅なのか、さまざまな駅の原型(映像)を繰り出して照合し、○○駅と認識するのです(理性的認識)。そして、降りようか、いや▽▽駅まで行こうか、などと次から次へと思考は進みます。これが認識のプロセスです。
 認識は、要するに喜びを得ようとする欲望(創造目的実現のための欲望)を充足させるものです。この創造目的実現のための欲望に従って、人間は一回の認識では満足せず、さらに正確な知識を追求し、あるいはさらに新しい知識を得ようとする場合が多いのです。そのために、対象に対して実践(実験、観察、経験)を行って新たな知識を得るのです。このように認識と実践の授受の回路を繰り返しながら、知識を発展させ喜びを得ていくのです。

サイバネティックスと照合論

 細胞や神経に原意識があり、それ原映像(内容像)を持ち、外部情報と照合して認識する、と本文で紹介した。米国の数学者ノーバート・ウィンナー(1894~1964)はこうした認識を「サイバネティックス」として体系化づけている。通信工学と制御工学、さらには生理学や機械工学、システム工学を統一的に扱い、情報の伝達と制御を科学的に追求した。
 人体には内部器官を制御する自律神経系として交感神経と副交感神経があり、これが対で作用し、内蔵を制御している。自律神経を通じて内蔵の諸情報は脊髄や脳に伝達されるが、その情報を脊髄で調節したり、間脳(視床下部)や延髄で調節したりしている。さまざまなレベルの中枢神経で情報は判読され、それに対する反応として適切な命令が発せられているわけだ。
 このようにいずれのレベルでも意識が作用している。このことは中枢神経に原意識(現映像)が存在していることを証明している。これが生物次元のサイバネティックスである。統一認識論が提示する照合論によって、細胞レベルの認識(情報の伝達・制御)のあり方がより一層、理解できるだろう。

勝共思想講座 疎外論
勝共思想講座 唯物論
勝共思想講座 唯物弁証法
勝共思想講座 唯物史観
勝共思想講座 認識論
勝共思想講座 疎外論の克服
勝共思想講座 家族論