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勝共運動による救国救世

唯物史観その2

物質生活を全ての基礎に据える
[キーポイント]

唯物史観の柱となっているのは、「社会の発展過程は自然界における発展と同じく、客観的法則に従っており、その法則は人間の意志から独立している」というものです。これは唯物論、つまり「物質が存在の本質であり精神はその産物もしくは反映である」、あるいは「存在が意識を規定する」とした定義を人間社会にあてはめ、経済的要因が歴史を決定する力であること、そして人間の意志に関わりなく客観的法則(唯物史観)によって革命は必然であると信じさせようとする理論です。それは独善でしかありません。

その主張と批判

唯物史観は唯物弁証法を人間社会と歴史に適用したとする歴史観ですから、その理論の大前提になっているのは、人間は生きるために衣食住の欲望を満たすこと、すなわち物質的生活に必要な生活資料を生産すること、と捉えることです。
 マルクスは次のようにいいます。
 「人間は、“歴史をつくり”うるためには、生きてゆくことができなければならぬという前提である。ところで生きるのに必要なのはなによりもまず食らうことと飲むこと、住むこと、着ること、そのほかなおいくつかのことである。したがって第一の歴史的行為はこれらの欲望をみたすための手段の産出、すなわち物質的生活そのものの生産である」(『ドイツ・イデオロギー』)
 人はパンのみに生きるにあらず、とはイエスの言葉ですが、マルクスはその逆に人は何よりもパンでもって生きるというのです。物質的生活、つまり唯物論が大前提になっているわけです。
 そのうえで、唯物史観の公式をマルクスは次のように書き上げます。 「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的生活諸過程一般を制約する」(『経済学批判』序言)
 さらにマルクスは次のように言います。
 「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。そのとき社会革命の時期がはじまるのである」(同)
 ここには人々をして革命へと導く唯物史観の全貌が実にうまく要約して語られています。

このようにマルクスが提起した唯物史観をエンゲルスは客観的法則といい、歴史を合法則的過程とみるのです。そして、その法則は人間の意志から独立しているとします。
 しかし、自然の発展と社会の発展が根本的に違っている点は、自然には意識の作用がないのに、社会は人間の意識的な活動によって営まれているということでしょう。このことをエンゲルスも認め、次のようにいいます。
 「自然のうちにあるものは…すべて盲目的の力があり、これらの諸力が作用しあい、それらの交互作用のうちに一般的な法則が働いている。…これに反して、社会の歴史のうちで行動している人々は、すべて意識をもち、思慮や熱情をもって行動し、一定の目的をめざして努力している人間であり、なにごとも意図、意欲された目標なしには起こらない」(『フォイエルバッハ論』)
 それにもかかわらず、社会発展は人間の意志とは独立した客観的法則に従っていると、エンゲルスはこう主張します。
「行為の目的は意欲されたものであるが、行為からじっさいに生じる結果は意欲されたものでなかったり、あるいは、はじめは意欲された目的に合致するように見えても、けっきょくは意欲された結果とは全く別のものであったりする。このように歴史的出来事は大体において同じように偶然に支配されているように見える。しかし、表面で偶然がほしいままにふるまっているばあいには、それらは常に内的な、かくれた諸法則に支配されているのであって、大切なことはただこれらの法則を発見することである」(『フォイエルバッハ』)
 その発見した諸法則とは前述のマルクスの『経済学批判』にあったように、唯物史観の公式、つまり「人間は社会生活において人間の意志から独立した一定の生産関係を結ぶ」「生産関係は生産力の一定の発展段階に対応する」「生産関係が土台であり意識諸形態は上部構造である」「人間の社会的存在が意識を決定する」「生産関係が生産力の発展に対して桎梏となるとき革命が起きる」といったものだというのです。
 これらの正否については本シリーズで詳しく見ていきます。
 エンゲルスがいったように、たしかに人間の行為の結果は、あらかじめ意欲された結果とは全く別のものであったりすることは事実でしょう。社会が一段階から新しい段階に向かって発展していく際に、前段階の社会の人々が次の新しい段階の性格を予見できなかった例は枚挙にいとまがないでしょう。たとえば18世紀前半のイギリスの中小マニュファクチャーたちの中で、イギリスをして「世界の工場」たらしめ資本主義社会を到来せしめる、などと予見していた人はまずいないでしょう。
 だからといって、その結果は人間の意志から独立した「物質的な客観的な法則」に従っていると断言することもできないはずです。意志どおりにならないこと、イコール唯物史観で定義する社会発展の法則に合致している、とは限らないからです。

資料
不破哲三議長の唯物史観に対する見解

 「史的唯物論の誕生は、レーニンがここ(『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』)で強調しているように、それまで混とんと気ままが支配していた歴史観と社会観を『驚くほど全一的な、整然とした科学的な理論』に変えることを、人間の思想の歴史のなかではじめて可能にしたのです。…マルクス、エンゲルス、レーニンがさまざまな著作であたえた史的唯物論の定式のなかでも、もっとも簡潔な一つでしょう。物質的な生産の諸条件が、究極において、社会の発展――人間の歴史的な活動全体の土台をなすというのが、史的唯物論の基本的な見地です」 (『科学的社会主義の基礎』日本共産党中央委員会出版局)

用語解説
生産力

 簡単にいえば財を生産する能力のこと。生産力には労働力、労働対象、労働手段の三要素がある。このうち人間の労働力が最も重要な要素で、経験や熟練を踏まえて生産用具を使って生産する人間の力のことである。労働対象は原料など。労働手段は人間が生産のために必要な物質的条件=機械、土地や施設など=をいう。労働対象と労働手段を合わせたものが、生産手段と呼ぶ。したがって生産力とは「労働力+生産手段」という定式にあらわすことができる。

生産関係

 人間が生産過程でとり結ぶ社会的関係のことで、生産手段が誰によって所有されているかを基礎としてとらえる人間関係のことを生産関係という。たとえば資本主義的生産関係といえば、生産手段を所有する資本家と、生産手段を所有せず自らの労働力を商品として売らざるを得ない賃金労働者の関係をさす。マルクス主義の定義でいえば、生産関係は生産力との対立物の統一として存在し、ともに生産様式を構成するということになる。

生産様式

 生活手段を生産し、これを交換する仕方のことで、一般的には生産方式のこと。マルクス主義では「生産力と生産関係の対立物の統一」、つまり人間が自然に働きかける生産力と、人間相互の関係としての生産関係が、現実の生産様式として統一されるととらえる。生産力の発展によって異なった生産様式がうまれ、人類は歴史的に原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義制、社会主義制の五つの生産様式を経験してきたとする。

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