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唯物史観その6

ドグマにすぎない「土台と上部構造」
[キーポイント]

唯物論で展開した物質と精神の関係、つまり物質がまず存在し、精神はその物質の産物にすぎないという見解を歴史観に展開したのが「土台と上部構造」の理論です。土台とは経済的諸関係、つまり生産関係のことで、上部構造とは宗教や政治、芸術といったものを指します。ですから、まず物質があるように生産関係があり、その産物として精神があるように生産関係の産物として宗教や政治、法律、芸術などが存在しているというのです。だから社会を変えるには上部構造をいじくっても仕方ない、土台から転換しなくてはならない、つまり革命以外に社会を変化させる方法はない、という結論が「土台と上部構造」の理論から導き出されるのです。

その主張

経済関係と政治や法律などの関係については、ふつうは次のように考えます。人間は「考える葦」といわれるように、いろいろ考えますので、社会の在り方についても構想を練ったり仕組みを考えたりし、そのうえで具体的に政治機関や法律体系をつくり、これらが基礎となって経済関係が営まれる、と。
 しかし、この考え方は共産主義にいわせると、観念論です。話はあべこべだというのです。なぜなら精神が物質を生みだしたのではない、物質がまず存在し、その物質の産物として精神があったのだから、当然、社会もそうした関係で存在しなければならないとするからです。
 マルクスの説明に耳を傾けてみましょう。
「この生産関係の諸形態の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している」(『経済学批判』)
 これをさらに説明しますと、社会の土台となっているのは生産関係だというのです。生産関係というのは、たとえば奴隷や金属製の農器具を生産力としていた社会は支配者が奴隷所有者、そして被支配者が奴隷という関係で成立している社会、これが奴隷制社会です。これが土台ということになります。

この土台のうえに形づくられるのが、政治や宗教、法律、芸術などで、これを上部構造と呼びます。上部構造をもう少し詳しくみますと、宗教的、政治的、法律的、芸術的、哲学的な「見解」と、この見解を実践に映す政治機関や司法機関といった「機関」から成り立っています。こうした上部構造は土台のうえに形づくられるというのです。つまり、土台に照らし合わせて(照応して)、上部構造が成り立っているというわけです。
 ですから土台に照応して特有な見解や機関が現れます。そこでその土台が滅べばそれらも共に滅ぶということになるというのです。このことをスターリンは次のように解説しています。 「上部構造は、ある経済的土台が生きてはたらく一時代の産物である。だから、上部構造が生きているのは長いことではなく、ある経済的土台の根絶とともに、根絶され消滅する」(『弁証法的唯物論と史的唯物論』)

さらに上部構造は土台に照応して現れるということは、土台に規定されているということも意味しています。ですから、上部構造は一旦できあがると、今度は土台を維持し、それを強化する働きをします。このことをスターリンはこういいました。
「上部構造はうまれでてくると、最大の能動的な力となり、自分の土台がかたちづくられ、つよくなるように能動的に協力する…。上部構造が土台によってつくられるのは、土台に奉仕するためであり、土台がかたちづくられ、つよくなるのを能動的に援助するためであり、古い、寿命のつきた土台を、その古い上部構造もろとも根絶しようと能動的にたたかうためである」(同)
 たとえば、ローマ帝国においては、共和制の政治的制度やアリストテレスの奴隷宿命説のように哲学的見解が奴隷制の維持・強化に寄与するというのです。あるいは中世の封建社会においては国王、諸侯、騎士の主従関係を軸とする政治的制度やトマス・アクィナスのヒエラルキー思想などが封建制の維持・強化に寄与したというのです。
 さらに市民社会の成立後は、民主共和制、議会制度、立憲君主制などの政治的制度および個人的主義的な自由主義思想が資本主義社会の維持・強化に大きく寄与しているといいます。

このように土台(生産関係)がまず人間社会の基本としてあり、その土台に照応して上部構造(見解と機関)が形づくられ、上部構造は一旦できあがるとその土台を強化するために働くことになるとマルクス主義は考えるのです。
 とすると、社会を発展させるのは土台を変革すること以外にあり得ないということになります。上部構造は所せん、土台を強化するための機能しかありませんから、政治や法律等を改革して社会を発展させようとするのはムダな努力です。いえ、逆にそうした改革は土台の強化につながりかねません。
 社会を発展させるためには土台をひっくり返すしかないのです。資本主義社会の土台、すなわちブルジョアジーとプロレタリアートの支配・被支配関係をひっくり返し、プロレタリアートが支配階級である社会主義社会をつくること、つまり社会主義革命を行うことが唯一の社会発展の道なのです。マルクス主義はこのように主張して革命を使命化するのです。

しかし実際の歴史をみると「土台と上部構造」の理論は通用しそうにありません。事実と合わないことがあまりに多すぎるのです。
 たとえば、上部構造の一部であるキリスト教や仏教、儒教などの宗教は、マルクスがいう奴隷社会であるギリシャ・ローマ社会の時代から今日に至るまで、経済的土台は変化したにもかかわらず、消滅することなくそのまま永続してきています。ローマ法もまた今日も生きて働いていますし、ギリシャ芸術は多くの人々を今なお魅惑し続けています。世界中で認定された「世界文化遺産」は奴隷制社会や封建制社会につくられたものが少なくありません。いずれも土台が根絶されても消滅せずに生き残った、いや時代とともに輝きを増しているのです。
 このようにギリシャ・ローマ時代の奴隷制は根絶されたにもかかわらず、キリスト教やギリシャ芸術、ローマ法が今日に至るまで消滅することなく生き続けてきました。このことは、それらが生産関係(奴隷制=土台)に照応して発生し衰亡したのではなく、生産関係にある程度影響されながらも、独立性を維持してきたことを意味しています。

むしろ、歴史の事実は上部構造によって土台が規定されてきた例の方がはるかに多いのです。たとえば、ローマの奴隷制的生産関係は法律思想と共和政治の下で営まれ、中世の封建的生産関係はカトリックのヒエラルキー思想の下で営まれました。また資本主義的生産関係はカルヴァン派の流れをくむピューリタニズムの精神やロックやルソーらの民主主義思想、アダム・スミスの経済思想と議会政治の下で成立しました。
 何よりも上部構造によって土台が規定されている例は社会主義社会でしょう。社会主義的生産関係は、いうまでもなくマルクス・レーニン主義の思想を土台として成立しました。社会主義的生産関係を土台としそれに照応してマルクス主義が形成されたわけでは決してありません。初めにマルクス主義がありその思想を土台に社会主義的生産関係がつくり出されたのです。 このように、社会主義社会の成立過程そのものが唯物史観の間違いを端的に物語っています。

資 料
マルクス自身が「土台と上部構造」の理論が難点であると告白した言葉

 「けれども困難は、ギリシャの芸術や叙事詩がある社会的な発展と結びついていることを理解する点にあるのではない。困難は、それらのものがわれわれに対してなお芸術的なたのしみをあたえ、しかもある点では規範としての、到達できない規範としての意義をもっているということを理解する点にある」(カール・マルクス『経済学批判』)

代 案
上部構造と土台は精神と物質の関係ではない

 生産関係は人間(政治指導者)の意志と社会的、物質的条件の合性体である。り、見解や機関の上部構造も同様に人間の意志と社会的、物質的条件の合性体である。上部構造も一定の社会的条件の中ではぐくまれ、経費や建物のような物質的条件を必要とするようになるからである。したがって、上部構造と土台を単純に精神と物質の関係で捉えることはできない。
 統一思想でみると、社会生活において物質として扱うことができるのは、有形の経済財(有形財)に限られる。それゆえ、社会における精神と物質に当たるものは人間の意志(欲望)と経済財であり、それらの授受作用によって社会における宗教、政治、経済など、あらゆる分野の営みがなされていると捉える。

土台と上部構造の性相・形状の関係

 人間の基本的欲望のうち上部構造は性相的な欲望(真善美愛の価値に対する欲望=基本的欲望)が中心となっており、土台は形状的欲望(衣食住に対する欲望=現実的欲望)が中心となっている。その意味において上部構造と土台を性相と形状の関係で捉えることができる。性相が主体、形状が対象であるから、生産関係が土台となってそのうえにそれに照応して見解や機関の上部構造が生ずるというのは間違いである。見解・機関(性相)と生産関係(形状)が各々主体と対象の立場で授受作用を行いながら共に発展していくとみるべきである。
 基本的欲望は永続的であるので、基本的欲望を充足してくれる要素をより多く含んだ観念形態の方がより普遍的で永続する。宗教やローマ法、ギリシャ芸術がそうで、これらは生産関係に関わりなく永続してきた。

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