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唯物史観その9

歴史発展の諸形態は虚構
[キーポイント]

唯物史観によると、一定の生産関係で特徴づけられている社会は、生産力の発展につれて変遷してきたといいます。そしてそれが歴史上に現れたのは、原始共同体、奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会、社会主義社会だとします。そしてその先に理想社会である共産主義社会が到来するとするのです。ですから資本主義社会から社会主義社会へと移行する、つまり革命は必然的に起こるというのが唯物史観のビジョンなのです。これも前回までにみてきましたように、革命にかり立てるための理論にすぎません。実際の歴史はこのようには決して発展していないのです。

その主張

唯物史観は歴史の最初に原始共同体を置きます。
 これは彼らにとって「エデンの園」です。採集や狩猟、漁労、原始的な牧畜や農耕などによって特徴づけられる生産力の非常に低い社会がこれに該当します。そこでは万人の共同の労働が必要であり、生産手段の私的所有も他人の過剰生産物の取得も不可能です。ですから階級も搾取もない社会だったというのです。
 ところが、生産力の発展と共に農業と牧畜が分離しさらに金属器の道具を生産用具として取り入れられると、生産力は一段と進んで手工業が現れ、それに伴って共同体的な生産は生産力の発展にとって障害となりました。そこで氏族共同体は分解し各家族(大家族)単位に生産を行うようになり、その結果、生産用具の私的所有が発生するようになったといいます。
 こうして貧富の差が増すと経済的に劣った者は次第に氏族社会の成員としての地位を失って奴隷となり、また氏族社会同士の戦争によって敗れて捕虜となった者も奴隷になり、ここに奴隷所有者と奴隷という支配と被支配の二つの階級が生じ奴隷制が登場します。奴隷所有者は奴隷の反抗を抑え支配体制を強固にするために国家をつくったといいます。これが唯物史観でいう国家の起源です。
 奴隷制の下で生産力がさらに発展し、金属製の生産用具が広く使われ農業が発展し、分業はいっそう進み、さまざまな手工業が現れます。しかし、次第に生産力の発展に対して奴隷制が桎梏化し、革命(奴隷の反乱)が起こって奴隷制が崩壊したとします。

唯物史観によれば、この次に到来したのが封建制社会です。ここでは解放された奴隷が農奴になり、領主と農奴が支配・被支配の関係にある封建制社会が出現しました。封建制の下で農耕技術が改善され、鉄製の農具が普及し農業生産力は急速に増大し、手工業と商業が発展します。
 しかし生産力の向上につれてマニュファクチュア(工場制手工業)が生まれると、封建制の下では労働の供給源がふさがって生産力の発展を妨げるようになり、封建制は生産力の発展に対して桎梏と化します。そこで被支配階級である農民の反乱と台頭した資本家による市民革命によって、ついに封建制社会は崩壊し資本主義が到来します。
 農奴を土地と領主から解放し自由労働者とならしめ、さらに産業革命による機械と動力の開発によって、マニュファクチュアは大規模な機械制工業へと発展、資本家は経済の主導権を握りました。労働者は自由契約に基づいて資本家に雇われるようになりますが、生産手段を持たない労働者は労働力を売り、資本家の搾取に身をゆだねなくては生きられません。唯物史観はこうして資本家と労働者が支配・被支配関係にある資本主義社会が成立したとします。
 資本主義社会で生産力が飛躍的に発展するようになると、資本主義社会はその生産力の発展に対して桎梏と化し、矛盾が大きくなって、ついに労働者の貧困と苦痛は増大の一途をたどり、そこでついに団結した労働者たちによって革命が起こり、資本主義社会は打倒されるに至ります。

この後に到来するのが社会主義社会です。社会主義社会は資本主義社会から共産主義社会に至る過度的な社会です。資本家階級が打倒され生産手段を社会的所有とすることによって生産力はなんら障害を受けることなく自由にまた十分に発展するようになりますが、まだ国内には敵性要素、国外には敵性国家があるために、国防力と警察力は強化しなけれはなりません。
 したがって独裁政治(プロレタリアート独裁)は不可避です。ここでの生産力の発展は「各人はその能力に応じて働き、その労働に応じて受け取る」という状態にとどまります。しかし、やがて共産主義社会が到来します。
 共産主義社会では一切の階級は消滅し、社会的分業によってその能力の全面的発展が阻害されていた人間は、完全に自由の身となり、各人は自らの能力を自由に発揮することになり、労働は義務によるものではなく、喜びによって行われるようになり、人間は「必要に応じて」支給を受けます。人間が生産手段と生産物によって支配されたきた状態は一掃され、人間は社会組織に対する完全な支配者となり、自然に対する支配の主人になります。
 「必然の王国から自由の王国への人類の飛躍」(エンゲルス『空想より科学へ』)し、「人間の前史は終わりを告げ、人間の歴史が始まる」(マルクス『経済学批判』)のです。

このような五つの経済制度が生産力の発展に照応して歴史的に順番に現れるというのは本当でしょうか。必ずしもそうではありません。このことは共産主義者自身が認めていることです。旧東ドイツで出版された『マルクス主義哲学』は次のようにいいます。
 「つまり、歴史の発展は、世界のすべての部分で経済的諸社会構成体の上述の諸時期をすべて通過したわけではなかった。例えば、いわゆるアジア的社会構成体[原始共同体]は、西ヨーロッパ諸民族は本質的にはこれを通過しなかった。他方、たいていのアジア諸民族は、ギリシャとローマとにおけるその古典的形態という意味では奴隷制を体験せず、アジア的生産形態からきわめて漸次的に封建制へ移行したのである。また、よく知られていることであるが、ソ連邦の多数の民族や、モンゴル、中国、朝鮮、ヴェトナムの諸民族の例が示しているとおり、こんにちでは、すべての民族が、発展した資本主義的社会形態を通過したあとでなければ社会主義へ移行できない、というわけではかならずしもない」
 西欧における「原始共同体」のみならず、世界で「原始共同体」なるものが歴史上存在したのか疑問です。日本でいえば縄文時代に該当しますが、今日の研究ではこの時代にも戦争がありました。原始共同体→奴隷制社会なる移行を日本史で見いだすことはできません。西欧では奴隷制→封建制→資本主義の三つの社会の移行は、ある程度、認めることができます。
 しかし、社会主義革命が最も生産力が発展したイギリスなどの先進資本主義国で起こったのではなく、資本主義が成熟していなかったロシアで起こったのです。このこと自体が唯物史観の誤りを証明しているといえます。
 これに対してスターリンは「レーニンの革命理論は、次のようにこれを反駁する。―そうではない。かならずしも工業はいっそう発展している等々のところだというわけではない。資本の戦線は帝国主義の鎖が他よりも弱いところで断ち切られる」(『レーニン主義の基礎』)と主張しました。ならば、生産力の発展に照応して社会諸形態が発展するという唯物史観は成り立たないということになります。
 マルクスは『経済学批判』の中で「一つの社会構成は、すべての生産諸力がそのなかではもう発展の余地がないほどに発展しないうちには崩壊することは決してなく、また新しい高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない」と断じています。この間違いは歴史が示していることです。要するに唯物史観はデタラメであるということなのです。

資 料
マルクスの誤った社会諸制度の発展観に立つ日本共産党の見解

 「現在の社会主義国には、たしかにいろいろ重大なあやまりや問題があるにしても、世界史の大きな流れとしては、資本主義から社会主義へ、平和と進歩の方向へと大きくすすんでおり、社会主義国は、その歴史の発展のうえで全体として積極的役割をはたしてきた。この点を見おとしてはならないと思います」(日本共産党中央委員会教育局編『基本課程』八四年刊)

批判のポイント
原始共同体は人類史に存在していない

 マルクスは最初の社会諸形態として「原始共同体」を置いているが、搾取がまったく存在しないこの種の社会が存在したという証拠はどこにもない。日本史において共産主義者は縄文時代を「原始共同体」と位置づけてきたが、青森県の三内丸山遺跡は支配者がいたことを示し、高知県土佐市の居徳遺跡では戦争の痕跡があった。「原始共同体」は幻想にしかすぎない。

生産力の発展に照応した社会諸形態にならない

 マルクスは生産力の発展に従って順番に5つの社会諸形態が登場するとしたが、彼ら自身による社会主義革命が生産力の発展に依拠していないことはロシアや中国など封建制・半資本主義社会で革命が起こったことでも明らかである。このことは社会の形成には主権者(政治家)の意志が主体的役割を果たしていることを証明している。

「自由の王国」は到来しない

 社会諸形態の発展は階級闘争によって起こるとしながら社会主義から共産主義への移行についてはそれを説明しない。プロレタリアート独裁から、いかにして「自由の王国」が来るのかまったく意味不明であり、実際、「自由の王国」どころか社会主義は「不自由の王国」をもたらした。

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