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勝共運動による救国救世

唯物史観番外編

家族解体をめざすジェンダーフリー論
[キーポイント]

今回は番外編としてフェミニズムとジェンダーフリー思想を取り上げます。フェミニズムとは一般的には性差別の撤廃をめざす思想や運動を指しますが、近年になってそれをさらに発展させて「文化的・社会的に作られた男女の型=性差=を壊す」というジェンダフリーという考え方が浸透してきました。「男女共同参画社会」が論じられるとき、きまって登場します。今日、話題になるいずれの考えにも唯物史観が底流に流れています。マルクス主義が大きく影響を与えているのです。その意味でマルクス主義が女性問題でジェンダーフリーの衣をかぶって徘徊しているといえるでしょう。

その主張の背景

性差別の撤廃や男女平等は長く人々の願ってきたことでしょう。とりわけ近代に入って「神の前の平等」や「人権」が叫ばれるようになると、それらが広く社会で追求されるようになります。
 フランス革命における「人権宣言」(1789年)は「人間は自由かつ権利において平等なものとして生まれた」とうたっていますが、女性の自由や権利はあまり論じられませんでした。しかし19世紀になり産業革命が進みますと、女性の置かれた劣悪な環境や人権が無視された状況を見過ごすことができなくなり、多くの人々が女性救済の声をあげるようになります。
 その声のひとつはキリスト教の牧師や篤信的な信者からのもので、唯心論的な「博愛主義」の立場から女性救済運動が起こします。女性を含めて家族を保護しようとするものであり、精神的な家族の絆を基礎において女性の幸福を図ろうとする考えが基本となっています。とくにイギリスで展開されました。
 これに対して、もうひとつの声は唯物論的な社会主義の立場からのもので、女性が抑圧・差別されているのは経済的自立(物質的条件)がなされていないからであり、男性支配の家父長的家族によって女性が家に閉じこめられる限り女性の真の解放はなく、したがって家族解体を通じて女性救済が可能となるとする考えです。フーリエらフランスの社会主義者がそうです。
 片や家族保護、片や家族解体。これは21世紀の今日においても繰り広げられている論争といえるでしょう。

こうした19世紀の最中にマルクスとエンゲルスは共産主義を作り出すことになるわけですが、その考えは当然、後者の立場です。
 第一に、マルクス主義唯物論は存在物を「矛盾」(対立物の統一と闘争)としてとらえますので、男性と女性も対立物という概念でみます。もともと西洋思想には東洋のような陰陽思想がなく、陰陽の調和(相対物)を重んじるとらえ方が希薄です。
 第二に、マルクス主義唯物論は精神よりも物質を本質的存在ととらえ、それを社会に適用した唯物史観では「土台と上部構造」論で見ましたように、経済的人間関係を基礎にすえ、精神的な絆を二次的にしかみません。そして精神的な取組(たとえば博愛主義による女性救済運動)は所せん、土台(その時代の階級支配)を強化するだけにすぎないとします。
 第三に、共産主義の人間観はダーウィンの進化論に基づいています。そこでは最も重要な概念が労働です。エンゲルスは『自然の弁証法』の「猿が人間化するにあたっての労働の役割」という項の中で「労働は人間生活全体の第一の基本条件であり、しかもある意味では、労働が人間そのものをも創造したのだ、と言わなければならないほどに基本的な条件なのである」と述べています。
 つまり労働が人間を作ったとするわけですから、労働が神の位置を占めているのです。ここから労働しない女性は遅れた人間という「蔑視」が生じます。
 第四に、共産主義は一夫一婦制の家父長制家族を「階級対立の場」としてとらえ、男性と女性の関係を階級抑圧の関係でのみ見ます。エンゲルスは「歴史にあらわれる最初の階級対立は一夫一婦制における男女の敵対の発展と一致し、また最初の階級抑圧は男性による女性の抑圧と一致する」(『家族、私有財産および国家の起源』)と述べています。
 以上からエンゲルスは、女性が男性に従属している起源は私有財産を継続していく家父長制家族にあり、それゆえ女性を差別・抑圧から解放するには「経済単位としての家族」を解消し、女性を労働(社会的生産労働)に参加できるようにしなければならないと主張します。つまり、女性解放はプロレタリア解放とイコールであるとするのです。
 このようにマルクス主義は資本主義社会を打倒して社会主義社会を作れば、おのずから女性への抑圧・差別がなくなるというのです。

しかし、レーニンによってプロレタリアが解放されたはずのソ連や中国の共産国で女性は差別・抑圧から解放されたでしょうか。
 ロシア革命直後(1920年代)、マルクス主義に基づいて家族は解体されたものの、社会はアナーキー的状況に陥り(たとえば少年非行などの急増)、そこでスターリンは独裁を強化するため(プロレタリア独裁)、その独裁の基礎として家族を利用しようと家族制度を“復活”させ、結局、ソ連では 19世紀以来の女性問題は何ら解決しませんでした。
 それどころか「働かざる者は食うべからず」というわけで女性は労働に駆り立てられ、“復活”した家族も結局は解体を余儀なくされたのです。

ロシア革命後、こうした社会主義体制に失望した欧米の共産主義者たちから、新たなマルクス主義の動きが起こってきます。
 ドイツでは社会民主党が議会に基礎を置く改良主義的な民主社会主義に転換する一方、ローザ・ルクセンブルグらは大衆ストライキに基礎をおく過激な革命論を唱えます。またマルクス主義の疎外論の原点に立ち返って労働者の自己解放に重点を置こうとする考えなど、さまざまな発展が見られます。
 政治離れして思想的にマルクス主義を深めようとしたのが、フランクフルト学派です。フロイトの精神分析をマルクス主義的に組み入れ、そこから後にマルクーゼが「エロス的文明論」、ライヒが「性器的人間」を提唱するようになり、これが1960年代のアメリカのフェミニズム運動の思想的バックボーンとなります。またフランスではサルトルやボーヴォワールの実存主義的マルクス主義やフーコーの構造的マルクス主義が60年代の過激なフランス学生運動をリードしました。
 さて、60~70年代の米国におけるフェミニズムはウーマンリブと呼ばれたように過激な性解放などを唱えますが、80年代に入って米国社会の保守回帰による「家庭の価値」復権によって力を落としていきます。そこで「性」にかわって登場したのが「ジェンダー」という表現にほかなりません。
 ジェンダーフリーを最初に唱えたのはフランスのマルクス主義系のフェミニズム学者クリスティーヌ・デルフィだといいます。デルフィは「男らしさ」や「女らしさ」といったものは社会的に作られてきた通念であって社会を「階層的」に組織するための区分にしかすぎないと主張します。さらに中間的な性も存在するから初めから性差などは存在しない、ジェンダーがセックスに先行している、男・女という二分法の性差は実際にはあり得ない、だから意図的に作られた人間集団の分割線(すなわちジェンダー)を壊さなければ女性差別は解消されない、と主張するのです。
 ここにはマルクスの支配と被支配という矛盾の概念が込められています。階層的というのは男が支配層、女性が被支配層とする考えを反映しており、さらに土台と上部構造の理論が巧みに導入されています。歴史的に作られてきた文化的・社会的な男女の型(ジェンダー)こそ支配の形態であるとします。支配者(男)が被支配者(女)を支配しておくために「男らしさ」や「女らしさ」といったレッテルや慣習、制度、常識が作られてきた、それがジェンダーだとするのです。
 つまり支配者が階級支配を強化するためのジェンダーなのですから、これを破壊しなければならない。これが正義となります。つまり共産主義者にとってジェンダーフリーとは階級闘争そのものなのです。
 このようにフェミニズムやジェンダーフリーはマルクス主義の流れの中で発展してきたのです。

資 料
マルクス主義を実践したソ連の惨状

 「(正当的なマルクス・レーニン主義では)女性は『家庭の奴隷』状態から解放されて、社会的生産活動に参加しなければなりません。それが女性というジェンダーに『真の社会的平等』を保障するとされたのです。(そうした理論を実践したソ連では)女性は実質的に、家庭と産業界という双方での役割を求められるために、(革命前よりも)はるかに過酷な『奴隷状態』に置かれることになったのです。しかも、夫婦が外で働いて帰ってくる家庭には、(社会主義経済の非効率さから)あらゆる基本的な生活物質が不足していました。これらの外的環境は、より本質的問題として家族メンバー間の調和に影響し、社会の基礎としての家庭を文字通り破壊することになったのです」(ユーリ・オシピアン=ロシア科学アカデミー副委員長・ロシア連邦軍縮局長=世界平和国際会議99年2月、ソウル)

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